文章が書けなくなった。ツイッターをはじめてからどんどん書けなくなったのだ。
140字に慣れてしまったのだろうか。いや、それだけではない。細かく複雑な事情が重なり合って書けなくなったことを私は知っている。
昔から読むより書く方が好きだった。書くことで金銭を得ていたこともある。書けば書くほど、文章の中に投影された自分が実体以上に満足のゆく存在になっていた。
最近は、ちがう。読むことで世界が広がる楽しみを知った。文章に投影せずとも身の回りのモノの写真や自分の写真にイイネがたやすくもらえる。書く必要なんかない時代なのかもしれない。
幼いころからクラスで一番文章がうまかった。でもツイッターに書いている人は全員そう。世界中のクラスで一番がわんさか集まっている。自分の小ささを痛いほど知る。
カラオケだってそうだ。町内カラオケ大会では大絶賛される子どもだったし、職場でも常に宴会クイーンだった。でも、精密採点で全国のコンペに挑めばひとたまりもない。93点やそこらではテレビの予選すら通らない。別にそうしたいと言っているのではない。ただ、私の自尊心や自信は、この時代になって大海の広さを知ったことによって、すべてのジャンルでずたずたになってきたことを言いたいのだ。
村一番の美少女が後宮に入って、全く天子の目に留まることもないことを気に病んで自殺してしまった話を読んだことがあるが、気持ちがわかる。
グローバル化の弊害だな、とまとめてみる。
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