2020年7月18日土曜日

劇評「スーパープレミアムソフトWバニラリッチ」チェルフィッチュ


 コンビニを相対化するという目的を孕むという芝居。100分を超える長さ、それもコンビニ店内の一場仕立て。息を飲むというほどの事件もなく、ストーリーの山場というほどの大きな起伏もなく、セット転換も衣装替えもない。これでどうなることか、という心配をよそに、一瞬も目を離せない緊張感と面白さがひたすら続くのだから、チェルフィッチュは魔法だ。それでは何が魔法的なのか。
 まず第一は肉体のムーブメントだ。カッコいいダンスでもキレのある殺陣でもない。どちらかというと暗黒舞踏に近い不可解な(ストーリー上にその場面には普通ありえない)ナンセンスな動き。しかし、この動きこそが呪詛の魔法であり、その動き以外に不条理のココロを表現しようがないくらいの完璧なムーブなのだ。
 第二にはセリフ回しの独自性だ。滑舌なんかクソくらえ!と言ったかどうかは知らないが、次々と繰り出される聞き取りにくい(たいして聴き手を顧みない)身勝手なセリフに、驚くべきリアリティがある。だって、すべての市民たちは勝手にぼそぼそ喋るのだから。そして、このぼそぼそこそがまたもや呪詛めいている。
 第三には立ち方としぐさだ。キレイでもなく洗練されてもいない一挙手一投足。コンビニ店員や客が誰にも見られていない前提でいるときの、素のままの無防備な佇まいが、これ以上ないというくらいタイミングの計算のもとに表現されている。一周回ってここまで力を抜けるのは合気道をきわめたマスター道士レベルの魔術だ。
 第四には、演出(おもに出ハケ)だ。全編を通してバッハが流れているが、曲ごとに1つのエピソードが完結するようにしくまれている。一曲ごとの合間は言うまでもなく、曲の中の緩急や構成までもが細かくシンクロしている。人間技を上回る魔術的タイミングだ。これに関してはこれまで観たどこの劇団よりも緻密なプロっぽさを感じた。
 こういった魔法的なテクニックのほかにもこの演劇には魅力が尽きない。紗幕に描かれた書割はコンビニ奥の愛すべきジュースとデザートの棚であり、役者一人分くらいのキャラ性を保有している。床面はただ色で仕切られているだけなのに、レジも陳列棚も浮かび上がってくるから不思議だ。そのために照明もビミョーに工夫した変化がつけられている。また当てられている役者がいい。店員たちはこれ以上のハマリ役があるものかというくらいで(東京03のコンビニを思い出すが)、客のへんな人たちも日常から変な人たちに違いないと思わせるくらいのナチュラルな感じだ。SVのいじわる度合いも店長の中くらい小さい器も、完璧だ。
 テーマはおそらく深い。資本主義批判、グローバリズム批判、コレ性の喪失危惧。しかし、押し付けは皆無だ。ダイレクトに方向性を指図してくる気配もない。だから、誰が悪者だとか誰がかわいくないとか決めつけることなしに、人間ひとりひとりの切なさが俯瞰できる。「人生はワンオペ、みんなしんどいよ」と山本正典の台詞がかぶさる。

感想文「短歌は最強アイテム」=千葉聡への(読まれたくない)手紙


  チバサトはこんなに素敵な人生を送っていたのか。衝撃と共に、あの生真面目そうな照れた笑顔を思い出す。この長い間、私ときたら一体何をやってきたんだろう。自嘲と惨めさがないまぜになって私を襲う。
チバサトと私は極めて似た地点にいたはずだった。同じ頃短歌をはじめて、同じくらい評価を受けたりした。同じ国語の教師で、同じような経験を積み、同じ時代を生きたつもりだった。それなのに何ということか、この本を読むと、私の空費された過去が浮き彫りになる。
  初めから才能に大差があったと考えれば簡単なことだ。しかし、これは歌に限らず、教師としての生き方や生徒との関わり方や母親とのつながり方にまで話が及ぶから、読み進めていくほどに真綿で首を絞められるようだ。大松達知先生もまぁまぁ羨ましいけど、なんかチバサトのキラキラはもっと妬むに値する。
私だって生徒と一緒に短歌を“する”。歓びの声もたくさん聞いたし、コンクールでたくさん入賞もさせた。でも、何かが違うのだ。たぶん生徒たちの信頼の目線が、実績の見えない優子せんせいとチバサトでは天地の差なのだ。
私だって進学○○校の選考を通り、全力をあげて親身な進路指導をしてきた。夏休みもぜんぶ出勤して許される限りの時間とエネルギーを費やした小論文だって、たぶん校内では一番定評がある。でも、なんかチバサトのほうが愛されているような気がする。
 私だって文化祭のバンドで歌った。AKBもモモクロも踊った。でもチバサトみたいに喜ばれない。私だってクラスで花束をもらった。彼らのこともとても大切に思っていて毎日コミュニケーションをとった。できる限りの力は注いだ。私だって、自分が高校時代著しい成績を残した部活動とはちがう部活動の顧問をまかされ、それでも最大限の努力をして結果を出してきた。
 じゃあ、何がチバサトにはあって私には欠けていたのだろうか。それこそが短歌の力だ。短歌黒板の力だ。こんなにも無神経で一方的でおしつけがましいいこと、私にはできない! こんなにも粋でおしゃれでかわいく人たらしなこと、私にはできない! そう、それがチバサトの魅力。私に欠けているかわいらしさ。わかってた、そんなこと。この本を読む前からわかってた。だって、私は辛くなるたび短歌を休んでしまった。こんなに大変なのに歌なんか詠めないと思ってしまった。受験指導が忙しいから短歌なんかできないと思ってしまった。私生活が大変だから短歌なんかできないと思ってしまった。 ちがう。短歌は、忙しければ忙しいほど、辛ければ辛いほど、苦しければ苦しいほど、できる筈だったんだ。文明先生の言葉に「歌は不幸を餌食にする」というのがある。そうなのだ。表面的にこの言葉を語りながら、私は歌に餌をやらずに枯らしてしまった。
 これは、感想文の名を借りた辛い告白なのだ。李徴のような惨めな告白なのだ。でも、私には希望がある。こうしていた間に育んでいたものがある。その花を、もう少ししたらみんなの前に飾りたいと思う。その時にはまた、一緒に歌と教育を語ってくださいね。親愛なるチバサト。


つかこうへい「熱海殺人事件~売春捜査官」 9PROJECT

  この作品を実は二十数年ぶりに観た。以前観たときは、まだ演劇を観なれていなかったせいもあり、「なんじゃこりゃ!」という感想だけをもった。観たのは北区だったが、どこの劇団だったかも記憶にない。スピード感には感心した覚えがあるのだが、わけがわからないまま2時間が過ぎ、それが肉にも血...