2020年6月6日土曜日

エッセイ 名前のパワー

精神的に弱ってくると占いやら風水やら何か他力にパワーをもらいたい気分になる。極端にはまってしまうことはないが、姓名判断だけはかなりホンモノだと信じている。なぜなら私自身わけあって数回ほど姓が変わっているのだが、そのたびに運勢が予言どおりに運んできたからだ。

優子は才能に恵まれたとても良い名前だが、この『優』の十七画が曲者で、重たい苗字(画数が名前より多いもの)をかぶると次々と家庭内の波乱に見舞われるというのだ。ホントホント、重たーい苗字を持っていたころの私の人生、波乱続きにちがいなかった。「幸せになりたければとにかく画数の少ない姓にしなさい。」といわれても、姓は選べるわけじゃないじゃん!(幸い現在の姓はバッチリです)

まあこんなエピソードを信じるか笑うかはともかく、昔からある「名は体を表す」「神の名を濫りに唱ふることなかれ」などというフレーズからも「名」の大切さはわかる。たかが名前、ではないのだ。俳優だって商店だってその名前如何で発展の度合いがきまったりするではないか。単なる偶然以上の何かパワーがきっと秘められているにちがいないのだ。

ちょっとした工夫で人の心に強い印象を残す名称をつけられた商品や会社がある。一度きいたら忘れられないこれらの名称は、宣伝効果が高いことはもちろん、なんだか社長の心意気というかやる気というか、とにかくすごい勢いを感じてしまうのである。

たとえば、虫刺されの薬の「ムヒ」、ほかの薬とは比べようもない効き目をうたったというが、漢字で「無比」と書かなかったことで、かゆいところに手が届いているセンスである。それから糊の「フエキ」、流行に流されない「不易」は言葉どおりで信頼のブランドである。蛍光灯の「パルック」は韓国語で「光」の意味、パッと明るい感じをうまく音にあてはめた拍手喝采ものである。

社名では「ブリヂストン」、「石橋」ではさえない町の工場で終わりそうだが、英語を利用したことで一気に世界のブランドに飛躍した感じだ。カメラの「キャノン」(canon)も覚えやすい良い響きだが、「観音」の一眼レフと書いてしまったら誰も買わなかったかもしれない。

平成以後はキラキラネームというのが問題だ。生徒にも多くてだいぶ慣れてきたけど、本人はたいてい気に入っているようだ。なんて読めばいいのかな、なんて思わせるくらいでちょうどいいのかもしれない。その答えをきいたときには漢字表記とともにもう二度と忘れられなくなっているのだから。文人のペンネームにも、二葉亭四迷(くたばってしまえ)や江戸川乱歩(エドガーアランポー)なんていう忘れられないウィットに富んだものがけっこうある。

さて、古風な私もそろそろ時流に乗ってペンネームでも開発してみようかな、いやいや、やはり先ほど書いたとおりの姓名判断を信じて本名で続けますか、ねぇ。


エッセイ 死者とホタル

近頃、ホタルを見ない。と、言っても、以前だってそうたくさんお目にかかっていたわけでもないのだが。そうとはいえ、やはり、この減りかたは尋常ではない。そんな風に思っていたところ、田舎の知人からホタルの秘密をきいた。

「ホタルはもうそろそろ絶滅するのだよ。」

生物学者でもないその人は、まことしやかにそう言った。なんですって? 根拠があるの?

「ホタルは小さな人魂なんだ。戦争で亡くなった人の魂があの虫の中に宿って帰ってくる。お盆の頃なら注目度が高いから、地域のお盆に合わせてやってくる。親兄弟や妻や子に会いに来るんだね。だから、大戦の後しばらくはホタルがそこここにわんさか出てきた。でも、年々会うべき親兄弟も減ってゆく。」

なるほど、そして近年はこの世に戻ってきても会う妻子や親戚はいない。それだけ歳月が経ってしまったのね。戦争の犠牲者たちを直に知っている人は確かにもう残り少ないのかもしれない。そしてホタルは絶滅する。

母の長兄は特攻隊で十代の命を散らしたと聞いたことがある。ロシア人クウォーターだったその伯父はどんな気持ちで日の丸を背負っていたのだろうか。その気持ちを少なからず知っていたと思われる母も、もうこの世にはいない。

幼い日に私が家の前で見たホタルは、母に会いに来ていたその伯父だったのかもしれない。

ミシェルトゥルニエのいうフォースではないが、明らかにそこらじゅうに(死者の)魂は生きていて、必要に応じて対象の前に現れるのだろうなと思うのだ。 


エッセイ ディテール美人

残念なことに母は相当の美人だった。なぜ、残念なことにかというと、私は父似で、会う人はみな気の毒そうに「お母さんに似ればねぇ・・・。」といいながら、多くを語らずに私を見るのだった。いくら子供でもその・・・の部分に人が言いたかった言葉はわかっていた。父は五十四歳で(別宅に)私をもうけたのだが、その小渕恵三そっくりの風貌はお世辞にもハンサムとは言えなかったからだ。

私を不憫に思ったらしい父は、何とかコブスちゃんを愛される美人に育成する方法を考え続けたらしい。貧乏だったので当然お金は一銭もかけず、しかも確実に娘が幸せになる方法でなくてはならない。

「心を磨け」「教養を高めよ」なんていう基本の愛され術は腐るほど聞いた。しかしそんなことだけで私が納得しないのを彼は知っており、次の作戦に出た。

「お母さんのどこが一番美しいか知っているか。肘と踵だぞ。まだある。耳の後ろと足の爪の間。私はへぇえと思い、母の踵や肘を見た。ふうん、ふうん、確かに美しい。まあ、顔全体は見慣れているせいか、人様が言うほどたいしたものだとは思わないが、確かに母の微細部は驚くほど美しかった。

「これらの細かいところや見えないところが美しければ人は美人になるのだ。汚いと顔やスタイルも汚くなる。うそだと思ったら肘のうしろの汚い女を見てごらん。」

父の言葉どおり、私はそれからというもの女性たちの肘ばかり観察した。機会があれば耳の後ろや歯も覗き、背中のにきびもチェックした。なるほど父の言うとおりだった。細部の美しさは全体の美人度と比例する。すごい説得力だった。

「肘や踵を美しくするにはどうしたらいいの。パパ。」

「よくケアし、いつも意識しておくこと。むやみに肘をつかない。サンダルから踵をはみ出させたり上履きをつぶして履いたりしない。」

私は父の言いつけを厳格に守った。細かいところ、見えないところ。呪文のように唱えては自分に言い聞かせた。

 結局、そういう教え方で父が譬えていたことは、「人目につかない点で手を抜くことへの戒め」であったと思う。「誰も見ていなくても掃除は誠意をこめてしなさい。家の中ではトイレを一番丁寧にやりなさい。」とも言われたことを思い出す。『トイレの神様』なんて歌がヒットするずっとずっと昔の話である。

私は元来なまけものなので、『凡事入魂』というほどコンスタントな努力はできない。けれど時々、父が見ているような気がしてこっそり『些事入魂』することはある。

亡き母のあの頃の年齢を過ぎたいま、私は「美人」になってきたと思う。

エッセイ こういう人に私はなりたい

もし誰かと人生をとりかえるチャンスが与えられたとしたら、あなたは誰の人生を生きてみたいだろうか。私はいやなことがあったりして不幸な気分になったときには必ずこの質問を自分にしてみる。すると不思議なことに人生を取り換えたい人はまず居ないのである。大富豪のあの人も、美貌のあの人も、人気者のあの人も、なんだか大差なく思えてくる。ちょっとだけ松田聖子になりたいような気もするけれど、それはそれで不自由があり大変なんだろうな。そうかといってパンダやムササビの人生?だってラクではないだろうし・・・結局この不完全な人間である今の自分が一番なのだ。

悩んだらきりがないが、その悩める自分が愛しい。挫折すればこそ一歩成長できるのだし、普段叶わないことこそ達成したときには大きな感激がある。だから与えられすぎることの不幸を思う。ものだけではなく名誉も環境も機会も、である。遂げられないものごとへの渇望が歌を生む。

人生を取り換えたい人はいないけれど、誰かの行動を見て「これには負けた」と舌を巻く瞬間はある。たとえば、以前、あるベトナムの女性と地曳き網に行った。彼女はサテンの生地に刺繍がほどこされた素敵なファッションバッグを提げていた。砂で汚れないかなと心配する私を尻目に、彼女はなんとその中に次々と獲物を入れはじめたのだ。いま自分で曳いた網にかかってピチピチ跳ねている獲物を!だ。「キレイなバッグに入れれば電車で恥ずかしくないでしょ。」との弁。素手でひょいと掴まれた魚も蟹も魔法のように静かになった。やられた! こういう人にわたしはなりたい。


観劇記録 ミュージカル『青空の休暇』

 演劇というものに携わってきた者として、戦争というテーマの扱いには一方ならず注目する。「ガラスのうさぎ」や「ひめゆり」や「太鼓」のように直球で悲劇を訴えかけてくるものは無条件でグッとくるし、失くしてはいけない描き方だとは思う。しかし、それが好きかと言われるとNOで、観劇後の重たい気持ちは一度観たらもうたくさんという思いになるのだ。演劇として、二度と観たくないと思わせる作品はどうなのだろう。少なくとも商業演劇としてはそれは好ましくない。だから劇団四季が放つ「異国の丘」も、今井雅之の「winds of god」も、何度でも観たいエンターテイメント性を重視して作られている。しかし回を重ねるごとに、観客の心の中でテーマは熟成され、反戦への確かな思いとして固まってゆくのだ。この「青空の休暇」もそういう意味では成功している後者の部類に入るといえよう。

 最初のシーンはハワイ行きの旅客機の中というセミオープンな場で、3人のメインキャストと我々観客との距離感をほどよく繋いでくれる。3人の老紳士の事情に、同じキャビンにいるような気持ちで聞き耳を立ててしまうのだ。彼らが50年ぶりにハワイを訪れようとしている戦友であること以外の情報を、一時も早く知りたいという思いにさせられるからだ。そして、その期待通り、我々観客はハワイに降り立った彼らにどこまでも同行することを許される。JALのアナウンスも空港のざわめきも臨場感に満ちていて、そこに遅れてやってくるガイドのケイトの日系三世ぶりもリアルそのものだ。

 巨大な椰子の木のセットが左右に動き、目盛りを振りきらんばかりの全照が注ぐと、その熱量はまさに常夏の空気感を漂わせた。総勢で繰り広げられるハワイアンミュージックとフラの踊りがいやがうえにも盛り上がり、ここが劇場であることを忘れさせそうだ。ミュージカルという表現にしたことが素材とマッチしている証拠だろう。演奏は舞台上手での生演奏であり、それがまたリアリティを強めている。

 いかにも熱烈な歓迎を受けた主人公たちだが、長閑に休暇を過ごそうという様子ではない。彼らがどうしても見たかったものは、50年前に自分たち3人がチームとして戦闘機に乗り込み攻撃した真珠湾なのであった。真珠湾には戦争の記念館が建っており、彼らはそこで当時の攻撃の標的だった人物リチャードと出会う。そんな現実に行き当ったらとても平常心ではいられまいと思うが、彼らは戸惑いを乗り越えて心を通わせる。そこに至るまでの葛藤の描写はやや薄いかと感じたが、記念館のスクリーンに映し出される少年兵や空母の映像が、両国間に起こった悲劇の深さと人間の尊厳について考えさせ、重みを加えている。現代演劇でスクリーンに映像が映されることは珍しくもなくなった昨今だが、この記念館のホールで行われている講演に伴うスライドとしての表現は、実に効果的であった。舞台中央のスクリーンを指して解説するリチャードの巧みな英語を聞きながら、我々が記念館の見学者そのものになった錯覚が起ったのである。

 物語中盤では、「転」にあたる展開が起きる。日系の牧場主が3人にどうしても何かを見せたいというのだ。それが何かを言ってしまうといわゆるネタバレになってしまうので避けるが、その何かに向かうまでの流れがなかなか憎い。まず、牧場に続く夜の田舎道は、舞台中央に設置された車の座席とハンドルだけで表現されるのだが、乗り込むドアの音、エンジンをかける音、カーステレオの雑音、対向車のすれ違うヘッドライトの灯り、そういった細かいものを音響と照明の効果で補うことで見事な出来に仕上がっていた。牧場についてから彼らが歩く道のりも、木のセットを動かすことで十分な距離感を作り出し、いよいよ近づこうとしている物への期待を盛り上げてくれた。

 3人は離ればなれになってからの半世紀、それぞれ懸命に生きつつも、淋しさと悔いを心に抱えていたらしい。それぞれの半生のドラマと心の闇の深さを描けていたかといえば難しいが、その充分な時間がないという2時間舞台の欠点を補ったのが歌であった。「♪生れて来たのはなぜさ、教えて僕らは誰さ」(帰らざる日のために)といった歌詞を叫ぶように歌う3人の苦悩を湛えた表情は、描ききれない部分を支えていた。イッツフォーリーズは、作曲家いずみたくが設立した和製ミュージカル劇団であるから、歌の挿入のタイミングと選曲は抜群である。昭和歌謡特有の旋律と実直な歌詞は、台詞以上にドラマティカルで、過去を描くということに適している。つくづくこの作品は、ダンスと歌を魅せるためではなく、まさに演劇を更に饒舌にするためのミュージカルなのだなぁと感服した。

 この作品で描かれていたものは、「今を生きる」ということだ。過去の過ちも悔いも乗り越えて今に向き合うこと、それが青春だというのだろう。それが「青空」。彼らがラストシーンで飛び立つ先は、いま取り戻す青春の大空なのだ

ごあいさつ

いつもyoutubeの視聴およびtwitterでの応援ありがとうございます。
このたびライブラリーをオープンします。玉石混交(というほど玉もないかもしれませんが)のページで、まじめな文章からかなりどうでもいい雑文まで一緒に置いてしまいます。
どこの図書館にも学術書から児童書、雑誌やビデオまで置いてあるイメージです。
それでも「ウソ」は書きません。私は”リアリズム”を大切にしていますので。
というわけで、どうぞよろしくお願いいたします。

つかこうへい「熱海殺人事件~売春捜査官」 9PROJECT

  この作品を実は二十数年ぶりに観た。以前観たときは、まだ演劇を観なれていなかったせいもあり、「なんじゃこりゃ!」という感想だけをもった。観たのは北区だったが、どこの劇団だったかも記憶にない。スピード感には感心した覚えがあるのだが、わけがわからないまま2時間が過ぎ、それが肉にも血...