2020年7月18日土曜日

感想文「短歌は最強アイテム」=千葉聡への(読まれたくない)手紙


  チバサトはこんなに素敵な人生を送っていたのか。衝撃と共に、あの生真面目そうな照れた笑顔を思い出す。この長い間、私ときたら一体何をやってきたんだろう。自嘲と惨めさがないまぜになって私を襲う。
チバサトと私は極めて似た地点にいたはずだった。同じ頃短歌をはじめて、同じくらい評価を受けたりした。同じ国語の教師で、同じような経験を積み、同じ時代を生きたつもりだった。それなのに何ということか、この本を読むと、私の空費された過去が浮き彫りになる。
  初めから才能に大差があったと考えれば簡単なことだ。しかし、これは歌に限らず、教師としての生き方や生徒との関わり方や母親とのつながり方にまで話が及ぶから、読み進めていくほどに真綿で首を絞められるようだ。大松達知先生もまぁまぁ羨ましいけど、なんかチバサトのキラキラはもっと妬むに値する。
私だって生徒と一緒に短歌を“する”。歓びの声もたくさん聞いたし、コンクールでたくさん入賞もさせた。でも、何かが違うのだ。たぶん生徒たちの信頼の目線が、実績の見えない優子せんせいとチバサトでは天地の差なのだ。
私だって進学○○校の選考を通り、全力をあげて親身な進路指導をしてきた。夏休みもぜんぶ出勤して許される限りの時間とエネルギーを費やした小論文だって、たぶん校内では一番定評がある。でも、なんかチバサトのほうが愛されているような気がする。
 私だって文化祭のバンドで歌った。AKBもモモクロも踊った。でもチバサトみたいに喜ばれない。私だってクラスで花束をもらった。彼らのこともとても大切に思っていて毎日コミュニケーションをとった。できる限りの力は注いだ。私だって、自分が高校時代著しい成績を残した部活動とはちがう部活動の顧問をまかされ、それでも最大限の努力をして結果を出してきた。
 じゃあ、何がチバサトにはあって私には欠けていたのだろうか。それこそが短歌の力だ。短歌黒板の力だ。こんなにも無神経で一方的でおしつけがましいいこと、私にはできない! こんなにも粋でおしゃれでかわいく人たらしなこと、私にはできない! そう、それがチバサトの魅力。私に欠けているかわいらしさ。わかってた、そんなこと。この本を読む前からわかってた。だって、私は辛くなるたび短歌を休んでしまった。こんなに大変なのに歌なんか詠めないと思ってしまった。受験指導が忙しいから短歌なんかできないと思ってしまった。私生活が大変だから短歌なんかできないと思ってしまった。 ちがう。短歌は、忙しければ忙しいほど、辛ければ辛いほど、苦しければ苦しいほど、できる筈だったんだ。文明先生の言葉に「歌は不幸を餌食にする」というのがある。そうなのだ。表面的にこの言葉を語りながら、私は歌に餌をやらずに枯らしてしまった。
 これは、感想文の名を借りた辛い告白なのだ。李徴のような惨めな告白なのだ。でも、私には希望がある。こうしていた間に育んでいたものがある。その花を、もう少ししたらみんなの前に飾りたいと思う。その時にはまた、一緒に歌と教育を語ってくださいね。親愛なるチバサト。


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