残念なことに母は相当の美人だった。なぜ、残念なことにかというと、私は父似で、会う人はみな気の毒そうに「お母さんに似ればねぇ・・・。」といいながら、多くを語らずに私を見るのだった。いくら子供でもその・・・の部分に人が言いたかった言葉はわかっていた。父は五十四歳で(別宅に)私をもうけたのだが、その小渕恵三そっくりの風貌はお世辞にもハンサムとは言えなかったからだ。
私を不憫に思ったらしい父は、何とかコブスちゃんを愛される美人に育成する方法を考え続けたらしい。貧乏だったので当然お金は一銭もかけず、しかも確実に娘が幸せになる方法でなくてはならない。
「心を磨け」「教養を高めよ」なんていう基本の愛され術は腐るほど聞いた。しかしそんなことだけで私が納得しないのを彼は知っており、次の作戦に出た。
「お母さんのどこが一番美しいか知っているか。肘と踵だぞ。まだある。耳の後ろと足の爪の間。」私はへぇえと思い、母の踵や肘を見た。ふうん、ふうん、確かに美しい。まあ、顔全体は見慣れているせいか、人様が言うほどたいしたものだとは思わないが、確かに母の微細部は驚くほど美しかった。
「これらの細かいところや見えないところが美しければ人は美人になるのだ。汚いと顔やスタイルも汚くなる。うそだと思ったら肘のうしろの汚い女を見てごらん。」
父の言葉どおり、私はそれからというもの女性たちの肘ばかり観察した。機会があれば耳の後ろや歯も覗き、背中のにきびもチェックした。なるほど父の言うとおりだった。細部の美しさは全体の美人度と比例する。すごい説得力だった。
「肘や踵を美しくするにはどうしたらいいの。パパ。」
「よくケアし、いつも意識しておくこと。むやみに肘をつかない。サンダルから踵をはみ出させたり上履きをつぶして履いたりしない。」
私は父の言いつけを厳格に守った。細かいところ、見えないところ。呪文のように唱えては自分に言い聞かせた。
結局、そういう教え方で父が譬えていたことは、「人目につかない点で手を抜くことへの戒め」であったと思う。「誰も見ていなくても掃除は誠意をこめてしなさい。家の中ではトイレを一番丁寧にやりなさい。」とも言われたことを思い出す。『トイレの神様』なんて歌がヒットするずっとずっと昔の話である。
私は元来なまけものなので、『凡事入魂』というほどコンスタントな努力はできない。けれど時々、父が見ているような気がしてこっそり『些事入魂』することはある。
亡き母のあの頃の年齢を過ぎたいま、私は「美人」になってきたと思う。
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