もし誰かと人生をとりかえるチャンスが与えられたとしたら、あなたは誰の人生を生きてみたいだろうか。私はいやなことがあったりして不幸な気分になったときには必ずこの質問を自分にしてみる。すると不思議なことに人生を取り換えたい人はまず居ないのである。大富豪のあの人も、美貌のあの人も、人気者のあの人も、なんだか大差なく思えてくる。ちょっとだけ松田聖子になりたいような気もするけれど、それはそれで不自由があり大変なんだろうな。そうかといってパンダやムササビの人生?だってラクではないだろうし・・・結局この不完全な人間である今の自分が一番なのだ。
悩んだらきりがないが、その悩める自分が愛しい。挫折すればこそ一歩成長できるのだし、普段叶わないことこそ達成したときには大きな感激がある。だから与えられすぎることの不幸を思う。ものだけではなく名誉も環境も機会も、である。遂げられないものごとへの渇望が歌を生む。
人生を取り換えたい人はいないけれど、誰かの行動を見て「これには負けた」と舌を巻く瞬間はある。たとえば、以前、あるベトナムの女性と地曳き網に行った。彼女はサテンの生地に刺繍がほどこされた素敵なファッションバッグを提げていた。砂で汚れないかなと心配する私を尻目に、彼女はなんとその中に次々と獲物を入れはじめたのだ。いま自分で曳いた網にかかってピチピチ跳ねている獲物を!だ。「キレイなバッグに入れれば電車で恥ずかしくないでしょ。」との弁。素手でひょいと掴まれた魚も蟹も魔法のように静かになった。やられた! こういう人にわたしはなりたい。
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